なついの日記

ときめきと恥の物語

平成最後のおぼえがき

平成が終わる。

昨日父に、昭和が平成に変わる時もこんな風にお祭り騒ぎだったの?と聞いたら、そんなわけないでしょうと返ってきてあっそうか……と我に返った。
日本の片隅で生きる20歳の漠然とした所感だけど、「平成最後」というキーワードで、日本はなんだかひとつになれた気がしている。改元という現象はものすごい。オリンピックよりすごい。世代を問わず、業界を選ばず、全ての人に関係のあることで言わば全員が当事者なのだ。そして「平成最後」にかこつけていくら盛り上がっても誰も傷つかない(たぶん)。こんな時にオリンピックしてる場合じゃ……みたいな議論も内包していない。ただ、刻々と迫るその瞬間を前に誰もがその人らしく、今日という一日を過ごすんだろうなと想像している。かくいうわたしも平成最後のライブにこれから向かう、

平成が終わる。

なにぶん3分の2しか生きていないから、こういう時代だったなと回顧することもなかなか難しいのだけれど、平成30年間の到達地点が分断社会だった、ということはなんだかわかるような気がする。
少子高齢化SNSの発達は相補的に分断社会を加速させてきたんじゃないかな、と思っている。マスメディアとはマスを相手にするもので、日本のマスとは今や圧倒的に中高年層だ。けれど、流行を生み出すのは若者である。若者の文化はその熱源をネットの世界に移し、マスメディアはモノを流行させる力を失った。消費活動は昔より積極的になっている気がする。ひとりひとりが自分の好きなものを、自分から探しに行けるからだ。逆に、誰でも知っているみんな好きなものが生まれなくなった気がする。メガヒットが困難になった代わりに、無数のコンテンツに細分化して息の長い消費者がそれを支えている。オタクは経済を回すのである。ネットは若者の文化の生産力?みたいなものを結果的に保護したような風に見える。一発屋ばかり大量に生まれてマスメディアに消費されていくような時代よりよっぽど健全じゃないか、と思うが、うちの母は家族全員が別々の画面を見て別々のものを楽しんでいる現状を嘆いている。昔の家族団欒とはテレビだったのか……。

とにかく。
「分断社会」というワードを用いて説明されるべき現象はほんとうはもっと別のこと(貧富の差とか世代間格差とか?)なんだと思うけど、わたしがそれを最も実感として得ているのはやはり''文化''なんだよなあ。島宇宙化、とも言う。一人ひとり好きなものが違って、お互いの好きな物のことを知らなくて、そんな社会を俯瞰してみるとあちらこちらに小さな消費共同体=島宇宙があるように見えるらしい。めっちゃわかるわ。4月はあちらこちらで自己紹介する機会があったけど「あなたは何のオタクですか?」と聞くのが1番手っ取り早いもん。

平成が終わる。

平成がたどり着いたのは分断の時代だった。でも平成最後の日、年齢を問わず業界を問わないたくさんのひとが、ゆるやかに「平成最後」というワードでつながってその瞬間を迎えようとしている景色がある。
たぶんこれから消費活動はもっと細分化するし、マスメディアは弱体化するし、多様性を訴えるくせに対話はしないし、少子高齢化は加速するし、みんながTLの都合のいい情報だけ見て話をするんだと思う。そうやって分断されていく未来を前に、この「平成最後」というお祭りの片隅で考える。わたしたちはひとつになりたい生き物なのだ。繋がりたいたいと心の底で願っている。どんなに分断されても、ひとつになることをやめられない。そう信じて新しい時代を迎えられるのはなんだか希望があっていい。分断される社会を見てきた天皇陛下の最後の置き土産、この平成最後とかいうお祭り、最後の一日をすべてのひとが穏やかに迎えられますように